山猫日記の「天皇発言へのコメント」を読んで

今回初登場につき、まず自己紹介。1935年2月、四国の東端生まれ。「大和」沈没で連合艦隊が消滅した後、土佐湾内を我がもの顔に遊弋する米機動部隊から発進したグラマン戦闘機の機銃掃射を10歳で体験。6・3・3制(一期生)で中学に無試験入学OKとなり、『万歳三唱』した戦中末期派。

入学した5月3日は新憲法の発効日。文部省配布の「新しい憲法のはなし」を1年生より熟読玩味させられた新憲法の「申し子」世代です。高3の初夏、

講和条約締結をめぐり中・ソを含む全面講和論と見切り発車を急ぐ単独講和論が対立する中、拝聴した

南原・元東大総長の講演にいたく感激。医学志望から「パンのための学問」(独語)法学部に乗り換え。

お蔭で終生、憲法問題には“血が騒ぐ”次第。

山猫日記にはかねてより独特のセンスに注目。今回も感嘆しきりだが、現天皇(女史のように『今上』の表現使用には既に抵抗感あり)が敢えてこのタイミングを選んだ事実は、昨年の終戦記念日の発言と無縁ではあるまい。

筆者は終戦時の南原氏の『昭和天皇退位論』は卓見

だったと思うが、父親が果しえなかった沖縄代参で

皇太子(現天皇)夫妻が火炎瓶を浴びた体験は、彼がわが世代の中でも抜きんでた平和論者体質の持ち主であることを決定づける意味をもったのでは?と推測する。

問題はこの実体験が生んだであろう『象徴」の体質が、世代を超えて何時まで維持される保証があるのか?だ。軍部や保身的保守派に利用される事態の再演は、絶対あってはならぬ。三百万の国民と一千万のアジア人犠牲者が浮かばれまい。退位問題を機縁に改憲論が直面する制度上の難問の一つに間違いあるまい。(P.S. 長すぎる挨拶でスミマセン!)